名古屋から金沢まで、岐阜の山間を走った「名金バス」

人を愛し、桜を愛した車掌がいた
平和の祈りをこめ、国道沿いに2000本もの桜を植え続けた。桜守
佐藤良二さんの物語である。
名古屋駅から金沢まで、約250kmを走っていた、旧国鉄の「名金バス」。日本一の長距離路線バスだった。
岐阜県の山間、国道156号線を縫うように走るのがメインルートである。当時車掌をしていたのが、佐藤良二さんだった。当時の路線バスはワンマンではなく、車掌もいたのだ。
高度経済成長時代に、御母衣ダム建設で村の一部が水没し、一緒に沈むはずだった荘川桜。
世紀の大移植で奇跡的に蘇った。佐藤さんを桜に駆り立てたのは、その命のたくましさを目の当たりにしたことが大きい。

荘川桜の近くの白鳥町在住であった佐藤さんは、荘川桜の移植とダムに沈む村を見続け、その移りゆく風景をカメラに何枚も収めてきた。そして自分の走るバスが走るのを、太平洋日本海を結ぶ『さくら道』にしようと決意し、沿線の停留所に桜の苗木を植え始めた。
様々な人たちが、人間よりもたくましい命を持つ桜を見て幸せになって欲しい、という純粋な願いの中に佐藤さん自らの生きる意味を見出したのだ。この想いを胸に、車掌の仕事をしながらも、桜を黙々と植え続けたのである。

佐藤さんの活動はやがて全国にしれ渡るようになる。揶揄する人もいたが、協力してくれる人も大勢いた。なにしろ寒冷地である。苗木からはうまく育たないのもあった。そんな場合は桜博士に直接アドバイスを求めたという。 「桜にはいくつか種類があり、ソメイヨシノは人間と同じ程の寿命。しかしアズマヒガンザクラは数百年から千年もの生命力・・・・・。」その後ただ苗木を植えるのでなく、荘川桜の種から思考錯誤しながら苗木を育て、その子孫を植え続けたのである。

しかし桜を植え続けているうちに、佐藤さんの体は次第に病魔に冒されていった。入退院を繰り返しながらも桜を植え続け、2000本あまりの桜を植えた頃だろうか佐藤さんは病に倒れ、志半ばの47歳という若さでこの世を去られた。その佐藤さんの意思を継ぎ、無二の親友や仲間たちが、名古屋から金沢まで桜を植えていった。桜ははかない花である。佐藤さん自身はかない命だった。名古屋から金沢までの、主に国道156号線を走ると時代の移ろいを感じながらも、佐藤さんの夢見た『さくら道』の想いが伝わってくるような気がする。

1994年以降、毎春、荘川桜が咲くゴールデンウィーク頃、この沿線自治体などの主催で、
「さくら道・国際ネイチャーラン」が行われている。名古屋から金沢まで当時のバスが走ったルートを、徹夜で250kmも走り通すのである。特に岐阜の山々の道は高低差が激しい。外国から参加するランナーもいる。